仏式の葬儀を出す場合、だれもが頭を悩ませるのがお布施、すなわち寺院に払う費用である。こればっかりは、一般の葬儀でも市民葬でも家族葬でも、仏式でやる以上はついてまわる。相場を聞いても「お気持ちで……」などとはぐらかされることが多い。しかし、現実には相場はあるので、最近の冠婚葬祭本には「葬儀社の人に聞け」「事情通の親戚に聞け」「僧侶に直接聞いてもいい」などとアドバイスされている。問題は、おとなしく、それに従うかどうかだろう。まず、僧侶の数。「お宅様くらいになりますと、やはり……」などとすすめられ、導師(葬儀を執行する僧侶)を含めて僧侶(導師以外は脇師と呼ぶ)が二人、三人、ときには六人なんていうことさえあるらしい。が、それで何が変わるかといえば、葬儀らしさが増す程度。「僧侶は一人でけっこう」と決めてしまえば、べつだん何も問題はないのではないか。
縁談はできるだけ広い範囲の方にお願いしたほうが、チャンスが多くなってよいと考えられています。それだけに、お願いした方からその知人へ、そしてまたその関係へと広がって、知らない者どうし、世話し世話になるといった関係を生み出すケースも少なくありません。そして、お互いが会うのはお見合いの席が初めて、というようなことも当然のようにさえなっています。しかし、縁談という重大事を人さまにお願いするのですから、知り合いの方からの場合はもちろんのこと、まだ会ったことのない方からでも、「このような方はどうだろうか」との声がかかって、紹介の労をとっていただきたいと判断したときは、やはり本人自身がお宅まで出向いて、「よろしくお願いします」と挨拶をするのが礼儀ではないかと思います。本人の意志が無視されがちだった昔と違って、現代の結婚は両性の合意のみに基いて成立するはずですのに、見合いでは本人の自分自身のことだという自覚は、いまひとつ薄いようです。紹介者に履歴書や写真を渡してお願いするところまでは周囲の人がしても、具体的になる段階からは、本人が自分で対応していくようにしたいものです。
電話で名指し人が不在のときに、「戻ったら電話くれるように言っといて。番号わかっているはずだから」と切られてしまった、とい人がいた。外出中の担当者から電話が入ったものの、外では電話番号がわからず、結局かけ直すのが遅くなってしまったとのこと。電話の伝言メモに相手先の電話番号を書くようにすることは引き継ぎとして正解。担当者も名刺やアドレス帳をめくる手間が省けるし、先の例のように、外出先から確認もしやすい。しかし相手の立場になってみると、「それではお電話番号をお願いします」と言われたら、「今まで何度も電話しているのに」と内心思うかもしれない。そこで、電話番号を尋ねるときには、たった一言「念のため」と言葉を添えてみよう。その一言だけで「あなたの電話番号を担当者はすでに知っているとは思います。でももし何かあってはいけませんから」という意味が備わる。相手にとっても番号を残すほうが確実な方法なのだから、遠慮せずに「念のため」と言おう。